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インタビュー

「ビジョンど真ん中で生きる人を増やしたい」そのためのパラレルワーク

インタビュー

「どう生きたいか」

この問いがこれほど投げかけられる時代が、これまであっただろうか。終身雇用が幻想と化し、数年後すら予想できず、ひと昔前の“一般的な幸せ”をつかむことが難しくなった今、それぞれが道を切り開いていくことを求められる時代となった。

そんな中、「ビジョンに目覚めて、輝いて生きる人を増やしたい」という思いを実現するために独立し、並行してパラレルワーカーとしても活躍する人がいる。株式会社 Famille 代表取締役の笠松さんだ。

独立してもなお、彼がパラレルワークを続ける理由はどこにあるのだろうか。

<プロフィール>
笠松 拓也
大学時代に写真共有SNSで起業し、バイアウト後は小中学生を対象とした教育事業を展開し60名規模の会社経営を行う。事業譲渡後、株式会社パーソルキャリアの採用・組織開発コンサルタントを経て、株式会社ビズリーチへ黎明期に参画。急成長するスタートアップのアーリーフェイズを経営人事として推進。2016年に株式会社 Familleを設立し、スタートアップ起業家へエグゼクティブコーチング・採用ブランディング・組織コンサルティング事業を展開している。
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枠から飛び出したいと願った10代

敷かれたレールへの違和感

私が通っていたのは、同級生の大半が東大・京大・国公立・医学部へ進む中高一貫の進学校。医者・官僚・大企業社員などのご子息・ご令嬢がマジョリティな環境で、私自身も「弁護士になってほしい」という親の希望を受けて育ちました。

しかし、中学で打ち込んだ部活を引退し高校進学を間近に控えた頃から、ある違和感を持ち始めたのです。それは「なぜみんな“どう生きたいか”を考えないのだろう」というもの。周囲は「まず大学へ行けば良い」という空気感に溢れており、それを疑う人はほとんどいなかったように思います。

かといって自分に「どう生きたいか」の答えがあるわけでもない。次第に学校の勉強よりも心理学を学ぶようになり、ギリギリ卒業できるレベルを計算して学校に行く時間を決める”計画的な”不登校生徒でした…こじらせてますね。

そんな生活にも卒業というタイムリミットが来て。ニートになるほどの勇気もなく、とりあえず大学進学を目指すことにしました。「東大・京大が当たり前」という高い基準を持つ環境に引っ張ってもらえたことが、なんとか名古屋大学に滑り込めた要因だと思います。

100万円の挫折

「枠から一歩飛び出そう」

これは大学でたまたま出会ったフリーペーパーを制作する団体のコンセプトメッセージ。後に代表を務めるまでになったこの団体のこの言葉が、今の自分を形成してくれたと言っても過言ではありません。

そのフリーペーパーで行っていた取材で出会った起業家やアーティストの方は、枠を飛び出して自分のココロに従ってまっすぐ生きるとても魅力的な人たちばかり。そのまっすぐな思いやココロを表現するときに人は最も輝くのだということをこの団体での経験から学びました。また当時スマートフォンが登場する大きな流れもあって、「誰もが表現者である」というコンセプトの写真共有SNSサービスを友人と立ち上げることにしました。

その事業をスケールさせるべく、ベンチャーキャピタル回りのために東京へ行った時のこと。新宿のマクドナルドで東日本大震災に遭遇しました。幸いその場では机が倒れる程度でけが人もなく済みましたが、電話回線はパンク。家族に連絡しようにも連絡はとれないといった状況だったのです。

そんな有事に活躍したのはツイッターでした。タイムラインに流れてくる情報を確認し、DMで連絡をとる。SNSがこんな役割を果たすなんて…と感心したことを覚えています。

「なんかしたいよね。」

同行していた友人と、どちらからともなく始めたこの会話。これが「東北震災支援アプリ」を開発するきっかけでした。メッセージを送ると募金ができて、サイト上に千羽鶴が出来上がっていくというもの。50名ほどのメンバーに協力してもらい、震災から2日後にアプリを完成させ、最終的には100万円ほどの募金が集まったのです。

「自分にしかできないことをやりたい」「目立ちたい」といった自身のエゴみたいなものもあったかもしれません。しかし、50名ものメンバーが自主的に集まり、彼らの「何かしたい!」という思いが自然とつながって大きな力を生み出せたこと。その体験は私にとってかけがえのないものとなりました。

しかし同時に、「これだけ集まっても100万円しか生み出せないのか」という思いもあり、自分が世の中に対して提供できる価値の小ささを目の当たりにしたため、当時経営していた会社を手放し、リスタートすることに決めました。
もっと資本主義社会の中でお金を巡らせられるような存在になりたい、影響範囲をひろげたいと思うようになりました。

「どう生きたいか」を問い続けたキャリア

悩みながらもベストを探し続けた独立前

「稼ぐ力を身につけたい」と飛び込んだ教育業界。23歳で東海支社長になり、60名規模の事業所運営を2年ほど経験しました。しかし、自身のプレイヤー経験を元に型化したやり方をメンバーに押し付けるパワーマネジメントで、組織はほぼ崩壊状態。稼ぐ力は一定身についたものの、自らが掲げてきた「人を輝かせる組織づくり」というビジョンには程遠い状態だったのです。そこに外部からのM&Aも重なったタイミングで、打診されていた大阪支社長の座も捨て、次のステップへ歩みを進めることに決めました。

インテリジェンス(現:パーソルキャリア株式会社)を選んだのは、会社の仕組みや働き方をもっと知るため。それまで起業家・経営者の経験しかなかったこともあり、マジョリティが抱える「はたらく」現状を知る必要があったためです。その狙い通り、様々な業種・職種・レイヤーの方とお仕事をすることができ、現場のリアルにどっぷり浸かることができた期間でした。

その後、当時はまだ100名程度だったビズリーチへ転職。縁あってオファーをいただけたこと、そしてインテリジェンスではできなかった転職後のサポートまで実現できる可能性を感じたことがその理由です。人事として月に30名近く入社してくる凄まじい成長を経験させてもらい、人事の基本はすべてここで学びました。人事領域を外部・内部の両面から支援したことで、「自分は全体を俯瞰してゼロイチで秩序や戦略・仕組みを作るのが好きなんだ」ということにも気づけました。コーチングを本格的に学び出したのもこの頃です。

独立のきっかけとなった祖母の死

ここまでのキャリアに確信があったわけではありませんが、どの仕事もやりがいに溢れていましたし、自分なりにベストな方法を選んできた感覚はありました。

しかし、ビズリーチの人事として会社の組織に関わりながら、社内外問わずコーチングを実施する中で、「この領域で仕事をしていきたい」という想いが徐々に強くなっている自分もいて。ただ、当時まだコーチングは「一部の経営者が受けるもの」という認知に留まっており、今ほど裾野が広がっていませんでした。「きっと稼げないだろう」そんな合理的な考えが自分の本当にやりたいことにフタをしてしまっていたのです。

そのフタを開けてくれたのが、幼い頃から心の拠り所だった祖母の死でした。そのお通夜が終わった会場で1人「おばあちゃんはどんな走馬灯を見たんだろう」と考えていた時のこと。同時に自分の走馬灯を想像すると、テレビの砂嵐みたいな粗くて雑多なイメージばかりで。このままではいけない、自分のビジョンのど真ん中を生きよう。そう決心し、ビズリーチに退職に意向を伝え、半年間ほどの準備期間をへて独立しました。

パラレルワークが生んだ新しい可能性

コーチングから染み出してはじめたパラレルワーク

独立当初は、あくまで対個人のコーチング事業がメインでした。目の前の一人ひとりと向き合い、より人生が輝く支援をする。まさに自分のビジョンのど真ん中を実践できている感覚がありましたね。

ただ、その中で気づいたのは、個人の人生に関与する上で「会社」は避けて通れないテーマだということ。私の経歴的にもビジネスマンの方がクライアントになることが多く、コーチングセッションの中でも「会社をもっとこうしたい!」という話が出ることが頻繁にあったのです。

一緒にその会社を良くするところまで関与できれば、よりクライアントの人生を輝かせられるかもしれない。コーチングセッションの先にある人の変化の過程まで目撃できるかもしれない。これまでの自身の経験を、より効果的なビジョン実現のための手段として活かせるはずだ。そう考えたことが、コーチングと合わせて人事コンサルタント業をスタートさせた始まりであり、同時にパラレルワーカーとしての第一歩でもありました。

「場」をつくる

コーチングはあくまで1対1で行うものであり、私1人が生涯で関与できる人数には限界があります。「ビジョンど真ん中で生きる人を増やす」ためには、それ以外の間接的な関与も増やす必要がありました。

それを解決してくれたのがまさにこのパラレルワーカーとしての人事コンサルタント業です。経営陣やマネジメントメンバーへのコーチングはもちろん、採用ブランディングや組織コンサルティングによってその組織ではたらく人がより輝く「場」をつくることができれば、その「場」が起点となって輝く人を増やしてくれるからです。

ただ、これを行う上で大切なことが一つあります。それは、関与させていただく組織と私のスタンスが一致するかどうかという点。本音の部分で「人的資源こそが最大の経営資源である」と考えている企業であれば、私のビジョンとも合致し、大きな成果を残すことができます。

反対に、人を機能として捉えていたり、パラレルワーカーのスキルを機能として活用したりする企業とはうまく協力関係になれないことが多いです。最近はアメリカでも人的資源も開示する流れがあり、人的資源の重要性は認知されてきていることもあって、ビジョンやスタンスが一致する経営者の方とお仕事させていただく機会に恵まれています。

パラレルワークには人を輝かせる力がある

自己表現のために必要な複数の選択肢

「自分らしさ」を表現できている時こそ、自己肯定感が高まって幸せに生きられるものです。
ただ、それを一つの会社だけで表現できる人だけではありませんし、いろんな場所でポートフォリオを組ながら、その全部が自分だと言えるほうが自分らしさを見つけやすいと思います。中高大とレールが敷かれた進路のように、ひとつしか道筋がないのは本来窮屈なのかもしれません。

その点を踏まえると、パラレルワーカーとして複数の場所で活躍することは、自分らしさを見つけるためにも、自己表現をするためにも、とても有効なことです。1つの会社にずっと留まっていると、世の中にどういった価値発揮をしていくか、つまり「どう生きるか」という問いを自分にする機会がとても少なくなりがちです。自分への問いを続け、そこで見つけたココロの声にしたがって、最適な働き方を選択する。それができるパラレルワークは、輝きながら生きる人を増やす一つの有効な手段だと思います。

手法だけに捉われず、ビジョンを掲げて生きること

だからといってただパラレルにワークすれば良い、というわけではありません。自分で働き方を選択できるということは、反対に選択基準となるビジョンがないと迷ってしまうことにもつながるからです。

お金目的での「副業」であればビジョンは必要ないでしょう。しかし、より人生を充実させ、ありたい姿を実現するためにパラレルワークを選択するのであれば、自身のビジョンを明確にしておくことは必要不可欠です。そのためにも有効なのはコーチング。どう生きたいか、どう働きたいか。今の埋没した現実から抜け、固定概念を手放してどう生きたいかを見つけていく。これはなかなか1人ではできないことです。だからこそ今、コーチングというものが世の中から注目されているのかもしれません。

「ビジョンど真ん中で生きる人」の輪がどこまでも拡がっていくよう、これからもコーチングという原点を大切にしながら、手段にとらわれずチャレンジしていきたいと思います。

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